コロナ禍時代にポピュリズムを考える

時間が余るのも一概には悪くない。これまでまだら視聴であったNHKの「映像の世紀」をちゃんと見ることが出来た。
20世紀は、憎悪の世紀と言われる。毒ガス、アウシュビッツ、原爆投下等々。
いま最悪なのは、100年前とまったく同じ事を繰り返すことである。
いま社会は、様々な格差、先を見通せない不安感が蔓延している。100年前に酷似している。アメリカ、中国、フィリピン、ハンガリー、多くの国の指導者が内外を問わず敵対する人間に憎悪の眼を向け、自らの政治的基盤を高めようとするのも。そして一部の国民が、強権的な政治志向に「希望」を見出そうとしている。
その中から生まれる憎悪、差別は「最悪」の再来を予感させる。一体、100年でなにが変わったのか。一時的な感情や空気に流されることなく、必要な情報を得ることが出来るではないか。それによって得られる多様性の容認とそれに伴う共感は、憎悪に対抗できる唯一の求心軸になりうる。