POSTコロナ

POSTコロナ

なんとなく不安という時代から 実感のある不安を感じる今日。
ポストコロナというか、私たちが住んでいた社会の有り様は今後どんな社会になるのか。ある依頼人が国(政治)のあり方について、真顔で中国もありですねと言われる。
見えないコロナウイルスの感染から国民を守り、経済との両立を図るための施策、そのため、なにより国家による統制を最優先にする国のありように魅力を感じる人が出てきている。
「それで国民が安全で経済との両立を図る社会もいいんじゃない」と言われる。
他方、トランプさんはどうだ。
権力を維持するためには、周りから何を言われようと「敵をたたく手法」大統領は統合の象徴だと言われようと、味方と敵を峻別し、むしろ分断と対立をあおる。むしろ憎悪を煽っている。
人はポピュリズムというが少し違うように思う。本来ポピュリズムは、既存のエリート主義である体制側や知識人に批判的な政治思想である。

中国を評して3つの階層から成り立つ社会と呼ばれる。比喩的にいうと
旧・旧 CHINA  周辺の農村や北部の工業地帯
旧・新 CHINA  共産党の指導のもとで発展する中国
新・新 CHINA  テクノロジー中国 アリババの世界
新・新の社会は、中国社会の中にブルジャワジー(中産階級)を創出、この中産階級は、財産権の保障、生きていく上で個人が守られ、予測可能性がある社会を求める。
しかし法の支配が存在していない中国では、党の指導に「反する」となれば直ちにゲームオーバーになる社会、法の支配がない社会で生きていけない。

ところでトランプさんはどうか。2007年2008年のリーマンショック時、アメリカは経常収支の赤字を大きく抱えていた。それを中国の貯蓄が大量にアメリカに流入し、国債を購入し、アメリカは中国の製造したものを購入する。
この持ちつ持たれつの関係をチャイナメリカと呼んだ。
その関係が知的財産を侵害しているという議論から始まりファーウエィ問題などなど有害な感情が両国の間に満ちあふれている。
トランプ流の問題は2つあり、憎悪、そして格差ー分断である。
この憎悪の問題は、対中国に限らず様々な場面で顕在化している
移民、白人と黒人。
そしてむき出しの資本主義は、欲望の赴くまま、格差と分断をもたらす。

それでは「自分はどう思うんだ」と問いかける。
これまで生きてきた世界からは、中国やトランプ流の政治体制を超えるあるいは異なる民主主義体制を構築できるのかと考えてみる。
この世の中に必要なOSはなにか。
20世紀は憎悪の世紀と言われる。アウシュビッツ、毒ガス、原爆投下等々。
憎悪とは、「他の人間が、自分とは別種であり同情せずに死んで貰ってもいい」と確信することと言われる。
いま最悪なのは、100年前とまったく同じことを繰り返すことである。
21世紀が憎悪の時代にならないようにするためには、この憎悪の感情を抑え止揚する気持ちがなくてはならない。
「安易に殺し合えないような共通の人間性が勝ち残る」時代にしなければならない。そんなOSを作っていく。
ファーガソンは、20世紀と100年後の今を比較し、階層性のタワーからネットワークによる連携に着目する。
現代は、インターネットで情報を得るのと併せ「他人の経験に共感できる」時代である。西洋人はアジア人のことを、白人は黒人のことをインターネットを通じて共感できるはずである。
そうであれば、憎悪の時代ではなく共感の世紀となり、憎悪の時代にならないはずであるという。
その意味で情報のネットワークが重要であるが、このネットワークは真実を伝えると同時にフェイクも伝える。制御できず再び憎悪の時代へあるいはカオスの世界になるか。

その意味で日本の状況は注目に値すると言われている。
超高齢化社会の中で、日本の社会はアダムスミスのいうところの「定常状態」に入っていると言われている。
高齢者の比率が社会の中で一定の比率になると成長への期待が失われ、人間で言うと壮年期の人間の心理状態になる。
伝統的な対策が機能せず人々は絶望する。平成2年3年のバブル崩壊時、超高齢化社会の入り口に立っていた日本の社会は一気に停滞局面に入っていったことは記憶に新しい。
一見奇抜なスローガンで、違和感のあったアベノミクス、成長がとまりデノミの社会に不安を感じながらなすすべもなくいた社会に「変革」の息吹を感じさせることになった。
とファーガソンはアベノミクスを評価し、いまだインフレ状態ではないが成功していると評価している。
財政赤字世界一でどうしたものかと思うが、経済危機、地震や水害など大規模災害が続く日本で、よく運営しているというような見方もあるのかと、少しポストコロナ渦の社会の有り様に心を馳せた次第です。