弁護士力を考える-1

弁護士力を考える-1

振り返ると(振り返る齢になったか)、様々なときに、いろんな人と関わり、教えられ、学びそして自らの人生の進路を選択してきたように思います。
弁護士という職業は、悪く言えば「お山の大将」的な側面があり、割り切れば一から十まで自分で決めることが出来ます。
しかし時折に適切な、周りのサジェスチョンがないといわゆる「唯我独尊(一般的な用法によります)」と呼ばれ「どつぼ」にはまりかねません。
ということで先輩弁護士の一人として後進の皆様にボヤキというか「進路」についてお話したいと存じます。

まずは法廷での弁護士力についてです。
弁護士には裁判での尋問が不可欠ですが、尋問技術の修得は、他の弁護士の尋問を見分することが早道ですね。
私が関わった集団訴訟には、予防接種訴訟や水俣病訴訟がありますが、人類史上初めての水銀被害の病理の解明には難しいところがありました。

魚介類の摂取による水銀暴露歴は患者さんごとに異なります。
感覚障害、運動失調など症状の把握には困難が伴いますが、いまから思えば、この時の医者とのコミュニケーションや昭和30年頃の行政官庁の責任者を尋問した「経験」は、後々の弁護士の活動の大きな原動力の一つになったと思っています。
→ (採算性にこだわらず)積極的に他の弁護士との共同作業の場に、参加すべき

次に思うのは、弁護士は、社会のオピニオンリーダー足るべき努力を怠ってはならないということです。
若い頃には、「良き法律家は悪しき隣人」などと言われていました。法的な知識を振りかざして、人情や社会常識を顧みない行動する法律家を批判する法格言です。
以前は、弁護士の生業は裁判が中心でしたから、裁判技術以外の知識等の修得は軽視されていましたが、いま社会が弁護士に求めていることは裁判だけではありません。
企業内では、投資先に向けてSDGs(持続可能な開発目標)、ESG(責任投資原則)原則にもとづき持続可能な企業として実績をアピールしています。
弁護士の活動は、企業の様々な課題に取り組むために、企業の内部統制システムの構築、コンプライアンスや社会的責任を果たすために必要な情報等を提供しています。
このようなことを求められる時代に、弁護士に必要な知識等は裁判技術だけでなく、裁判外技術や社会を取り巻く様々な事象を理解し解決に導く能力が必要です。
実際に各種審議会委員、第3者委員会などでの活動を求められることがありますが、必要なのは、当該分野の法律学だけではありません。

私は40歳頃に、ある先輩弁護士から、ドラッガーを読むことを勧められ法律学図書の呪縛から解き放たれました。
「良き法律家は良き隣人たれ」の時代に入っているのです(ドラッガ-について後日)。
→弁護士は間口を拡げ、広く浅く、時に集中特化し専門性を高める努力を怠らない事。

次は本題です。 弁護士会の役職と弁護士業務との関係です。
弁護士は、弁護士会(日本弁護士連合会も)に入らないと弁護士活動が出来ません(強制加入制度)。
それは、弁護士の活動の独立性を確保するために権力と一定の距離を保つため弁護士による自主的運営が認められています(弁護士自治と言います)。
他の士業(税理士、司法書士さんらには監督官庁があり、行政から指導監督を受けています)と異なり、自主的に弁護士の入退会の管理、弁護士総体の質の確保などを自主的に行っています。
そのため、会の運営が適正にされていないと自治が制限されることにもつながるため、自主的な会運営は重要な課題であります。
それを担う役員には、昔から経験と見識を積んだ方が選ばれているのは当然です(自分のことはともかく)。
ただ会員それぞれの事情もあって会務から遠ざかった弁護士人生を歩む方もおられます。
なにも会務と縁がなかった方が、突然手をあげられることもあります。
そこで今回は、会務との関係で悶々とされている方に一言。
環境が人を作ります。求められるためには、まずは求められる場所に行かねばなりません。
その場でされていることに共感できるかどうか、自分の能力が少しでも生かされているかどうかを判断してください。
共感することもなく、能力が発揮される機会もないとすると、趣味としてやっていても、どんどんずれていくばかりですので、むしろ触らない方が良いのです。

一定の接点が出来ました。その中で、委員長になるか、それとも副会長、会長になりますか。
非常に難しい問いですね。
ある時期から弁護士は経験を積んで事件処理がおもしろくなります。
あえてその楽しみを捨てて、会務に「命を捧げるか・・・大層な表現」

会派の運営では、副会長をやらないが常任幹事は引き受ける、いわば義務的に役割と考え引き受ける人事が行われることがあります。
特定の方に偏らない、裾野の拡げたいとの考えも分かりますが、(やっていることに対する)共感もなく、自らの力を発揮出来ない場で会務への関与の継続は出来ないと思っています。
共感って何に対する共感?と思う人も。
これは私の「ポピュリズムとどう向き合うか」でも触れましたが、さまざまな選択の場面でも出てきます。
社会の分断や対立をなくすために今何が必要か。
「一時的な感情や空気に流されることなく、必要な情報を得ることが出来るではないか。それによって得られる多様性の容認とそれに伴う共感は、憎悪に対抗できる唯一の求心軸になりうる。」
これはポピュリズムへのアンチテーゼとして述べたものですが、会務運営で求められる感性とは、多様化する弁護士像(生業を指します)の中で会の役割。会員が会に求めるニーズも多様化します。
社会の弁護士へのニーズも変化しています。
このような状況認識の中で、会の舵取りが重要で、それによって多くの会員を統合し、弁護士の矜持を持ち続けることへの共感、それに自己の才能を生かすことに幸福感を得ることが出来る方こそ、相応しいと考えています。

→仕事も会務も楽しくやろう。
(あくまで個人のぼやきです。さらに聞きたい方は連絡ください)